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2017/06/17 (Sat) 13:59
「死にたい」って、贅沢だな。
近い将来には死ぬ見込みがなく
死ぬ自覚もない人だけがこの世で唯一
「死にたい」と思うことを許されている。
「死ぬのかもしれない」事実と直面していたり
死を身近に感じざるを得ない人にとって
思えるのはただただ「死にたくない」ということだけだ。
それはたぶん生物としての本能なのだろうし
人間としてのあまのじゃくさなのかもしれないし
そのいずれでもないのかもしれない。

けど、あぁ幸せだなぁと思わない日がない私にだって
死にたいと死にたくないの間でのたうち回ることはある。
のたうち回っているだけまだマシなのだろうし
意地でも生きることにしがみついていたいと思うこともある。
いずれにせよ私はそうやってジタバタするだけで
私自身の生き死にをコントロールできるわけではない。
それは本当に死にたいと思っているどこぞの贅沢者だって同じ。
自分で自分の死をコントロールできるのは
死にたいと思う人ではなく
思うより前に死んでしまえる人だけなのだ。
それは間違いなく悲劇だけど
時々ほんの少しだけ、羨ましいなと思うこともある。
死はそうして私たちの密かな憧れであり続ける。
だからこそ私たちはどうにかこうにか
死に向かって行くことができる。
恐れと憧れが紙一重なのだとしたら
私の死は間一髪で憧れに転んでいてほしい。
見込みも自覚もまだしばらく持ちたくない私は
せめて、そのように祈る。

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2017/09/14 (Thu)
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