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2017/06/12 (Mon) 22:03
本気って何だろう、と時々思う。
本気以上・本気未満っていう境界線は
どこにあるのか、そもそもあるのか。
他人の本気となるとさらに分からない。
行動を起こせていない人を見て
あぁなんだ、本気じゃなかったのかって
思ってしまうという話を前にも書いたことがあったけど
本気なら否が応でも動いてしまうはず、というのは
あくまでも私基準の本気はこうですよっていう話でしかなくて
本気=行動と考えない人も当然いる。

ついでに言えば必ずしも
本気出すこと=正しいことなわけではない。
本気出して過労死しちゃえば本気はただの悪でしかないし
本気を使って引き起こされた状況が
その時々の本気を定義するのかもしれない。
それなら本気はただのツールで
結果的に自分の望む状況を叶えた人が
「あの人は本気出した」って賞賛されるだけのことなのかもしれない。

ひとつだけ確かに言えるのは
Aさんの本気とBさんの本気はまったく性質が異なるものだし
だから比べる意味はないということ。
そしてこれは「本気」に限らないということ。
「努力」でも「幸せ」でも、何でも良いけど
その言葉をどう捉えているかはその人次第。
箱が同じでも中身は違う。ぜんぜん違う。
私たちは便宜上同じ言葉を使わざるを得ないけど
言葉が指し示す先のイメージが完全に同じことなんてない。
いつでもどこかにズレがあって
でもそのズレを普段は意識しないようにしている。
そうしないとコミュニケーションが成り立たないから。
でも、ズレは必ずある。
私たちが意識していてもいなくても、関係なく存在する。
だから私はできる限り、こう思う。
言葉を交わせば交わすほど
そこに生まれるのは理解ではなくズレなのであって
自分には認識できない、積もり積もったズレこそが
コミュニケーションの大部分を占めているんだって。
相手と話して楽しいか楽しくないかはつまり
その人とのズレに興味が湧くか湧かないか
その人とのズレが自分の個性を脅かすか脅かさないか
その程度のものでしかないって。

少なくとも、見えなくてもズレがあることを自覚していると
相手の話を自分が理解できるとはそもそも思わないし
共感できてもそれはあくまで表面上の話だし
共感できるか・できないかという基準で判断しても仕方ないことが分かる。
だから共感できる・できないを超えたところで
人の話に頷けるようになる。
私はこの感覚が結構気に入っていて
相手のことが理解できても・できなくても
関係なくその人のことを好きだと思える気持ちは
この感覚から湧いてくるものなのではないかしら?と思っている。
私には実際、理解できなくても好きな人、というのが数人いて
それって最強の「好き」だと思うから
これからもギュッと抱きしめておきたいんだ。
私自身が両親や祖父母をはじめとする家族から
理解できなくても好きっていう想いの温もりを
たくさんたくさんもらってきたから。
私はそれを、愛だと思うから。


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2017/06/17 (Sat)
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