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2020/01/03 (Fri)

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2015/03/29 (Sun) 01:46
旦那さんを優しいなあと思う瞬間はたくさんある。
ごはんの後、私の分の食器も
流しに運んでくれる時だったり
私が買い物してきた食料品を
ちょっと洗面所に行ってる間に
片付けておいてくれる時だったり
お出かけの時持ってきたものの
もう雨は止んで使わずに済んでる長い傘を
私のもまとめて持ってくれる時だったり
私の手が冷たくなってしまった時
それを自分のお腹にあてて温めてくれる時だったり
何かを選ぶ時には必ず
私のほうを先に選ばせてくれる時だったり
それはもう数え切れないくらいあるけど
最近しみじみ思ったのは
私が怪我すると自分が怪我したみたいに
泣きそうな顔になってくれる時。
普段から旦那さんの優しさには
何の計算もないってわかるけど
私の身体の痛みに対して
自分のことのように顔を歪めてくれるの
なんだかよくわからないくらい嬉しくて
旦那さんを困らせたくないし
悲しませるのだって嫌だけど
なぜか小さな子どものフリしてしまう。
些細な傷ほど見せに行く。
その傷を隠せば無かったことになるかのように
たぶん、ほぼ条件反射で
その部分にあたたかい手のひらを乗せてくれる
そのぬくもりに1番
ああ優しいなあって思う。
旦那さんの優しさの本質に
触れたような気がするのかもしれない。
そして気付くんだ。
あなたの眼差しはいつだって優しい。
私を撫でる手もいつだって優しい。
私をぎゅってする腕も頬も唇も
あなたが私に触れるところで
優しくないところなんてない。
溺れるほどの優しさの中で
私はいつも泳いでいるのね。
ありがとう、ありがとう。
そんなふうに、思う。

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