2017/11/12 (Sun) 01:20
「私には夫婦がどんなものなのか分からない」と
友だちが言っているのを聞いて
私にもそれは分からないな、と思った。

ただ、私が旦那さんと結婚しようと思った
決め手をあえてひとつだけ言うなら
たとえ結婚しなくても
私はこの人と一生一緒にいるんだろうなと
ごく自然に思えたから、なんだと思う。

逆説的だけど、
結婚しなければ相手を捕まえておけないだとか
恋人のままならいつか別れてしまうかもしれないだとか
思う相手じゃそもそも無理だ。
結婚しなくても一生一緒にいるってことが
ストンと腑に落ちるような相手だからこそ
結婚できるし結婚したい。

もうひとつ言えば、私は旦那さんと
結婚したから一緒にいるわけではなくて
夫婦だから一緒にいるわけではなくて
一緒にいたいから一緒にいる。
当たり前のことなんだけど、世間では時々
結婚しているから、夫婦だから、っていうのが
一緒にいる理由になると思っている人もいる。
私から見ると本末転倒だけど
そういう人たちはきっと
幸せになりたいから結婚して
結婚したいから相手を探して
相手を探したいから人を好きになるのだろう。
それもひとつの価値観だと思う。
ただ、私はやっぱり逆だと思う。
まず人を好きになって
好きだからこそ結婚を考えるし
結婚と幸せはまったくの別物。
結婚しているかどうかに関わりなく
自分の幸せのために行動できる人は
ちゃんと幸せになっていく。

結婚も夫婦も、言ってみればただのルールだ。
ルールを守ることは大切だけど
ルールがなくても揺るがない2人でいられることのほうが
私にはよっぽど大切で
ルール自体に意味や価値があるとは思わない。
つまり、夫婦でいること自体に
何か大きな意味や価値があるわけではない。
便宜上夫婦と呼ぶならそれでも構わないけど?
っていう、それくらいの感覚で
私は旦那さんと一緒にいる。
その関係性に、ラベルは本来必要ない。
ただひたすら互いが互いを求めていて
一緒にいること以外思いつかないから一緒にいる。
シンプルだけど、シンプルだから
そのつながりは、とても無敵だ。


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2017/10/24 (Tue) 00:12
これまでしてきた選択に自信がありすぎて
そんな選択ができる自分が好きすぎて
偶然生まれ落ちた環境が恵まれすぎていて
そんな環境に生まれることができる自分が好きすぎて
旦那さんと友だちの存在が本当にかけがえなさすぎて
そんな存在と出会うことができる自分が好きすぎて
もううんざりするくらい自分が好きすぎて
実際うんざりすることもあるけれど
自分のことがこんなに好きじゃなかったら
自分のためにここまで一生懸命には
生きてこられなかったかもなぁとも思うし
これまで自分のためにしてあげたこと色々
思い返すとそれはやっぱり好きだったからで
あぁ私って実は好きな人に尽くすタイプだったのか
そうかそうか私って本当に私が大好きなんだな
ってまた少しだけうんざりして
でも私は誰よりも私のことが好きだから
誰よりも私のことを幸せにできたわけで
これからも幸せにしてあげられる自信があるわけで
そんな自信に満ちた自分のことが好きすぎて
もう一生このループから抜け出すことなんて
できないんだろうなぁと思うんですよね。
できなくて良かったなぁと思うんですよね。
できない自分すら好きすぎるんですからね。
もう一生幸せなんだろうなぁと思うんですよね。
そんなふうに思える自分が好きすぎるんですよね。
そんな自分を好きでいてくれる人のことも
手放しで好きすぎるんですよね。
好きはその他多くの好きを引き連れて
キラキラピカピカとやってくるんですよね。
だから私はこれからも
自分のことを好きだ好きだ大好きだと
思い続けながら生きていきますね。

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2017/09/14 (Thu) 23:44
旦那さんの誕生日。
大好きで大好きでたまらない人が生まれた日。
それがこんなにも嬉しくて
朝からわくわくソワソワしちゃったりして
たぶん本人以上ににやけてしまう
自分の誕生日よりも幸せな日。

旦那さんは「アナログに歳を取っていく」派なので
誕生日だからって何が変わるわけでもないという。
それもそうかと思いつつ
やっぱり気分はふわふわ浮き立つ。
あぁ嬉しいなぁ、と心から思う。
今年もまたこの日を2人で迎えることができました。
神様仏様旦那様、どうもありがとう◎

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2017/09/01 (Fri) 22:33
私たちは今、情報の洪水の中で生きていると
言われているけど実際のところどうなんだろう。
当たり前だけど情報は使うことに意味がある。
だから情報社会イコール便利な社会なわけではなくて
ただ選択肢の増えた社会になっただけなんだと思う。
周りにどれだけ情報があふれていても
それを見ようともしない人はたくさんいる。
流されまいと踏みとどまるために
あえて見ないことを選ぶ人もいる。
誰からも情報を押し付けられない代わりに
自分でキャッチアップしようとする人が
しない人よりどんどん豊かになっていく。

私は最近
やっぱり知識が1番最強の財産だと思っていて
教養・インプット・経験
どんな言葉で言い換えても良いけど
要するに自分の中で積み重ねていく情報。
自分にとって価値ある情報のパーセンテージを
自分の中でどれだけ上げていけるか
どれだけ外から吸収できるか
そしてその情報を
自分の次の行動へ生かしていくことに
今1番興味がある。

まだ自分の知らない美しいもの・可愛いもの
身体の仕組み・社会の仕組み
人の気持ち・自分の感情
すべてを知ることはできない、それでも
ひとつひとつ知っていくことが今は楽しい。
そうして培った知識が私を
新しい場所へ連れて行ってくれることが今は嬉しい。
もちろん色んな価値観がある。
その中で私は、動くことに価値を見出す。
興味が、感情が、自分自身が
動くからこそ得られるもので
未来を作っていきたいと思う。

行きたい場所に行ってみる
作りたいものを作ってみる
食べたいものを食べてみる
着たいものを着てみる
知りたいことを学んでみる
ただそれだけのシンプルなことが
私をこんなにも、ときめかせてくれる。
ワクワクしてたまらないんだ*
もしかしたらまたしても私
幸せの最高値、更新しちゃったかも ;-)
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2017/08/28 (Mon) 20:18
7月下旬から、趣味で糖質制限をしています。
制限と言ってもまったく摂らないわけではなく
私が目安にしているのは1日に130gまで。
巷では「緩やかな糖質制限」と言われている基準です。

そしてそろそろ1ヶ月、続けてみた感想はというと...

・足のむくみが明らかに取れた
・身体がだるいと感じることがほとんどなくなった
・お肌がツルツルになってきた
・食事もおやつも少量で満足できるようになってきた
・そもそもお腹の空く頻度が減っている

前半のほうはバセドウ病の治療のおかげかな?
とも思うのですが、とにかくすこぶる体調が良いです。
制限するツラさみたいなものは一切なくて
逆に情緒が安定するようになったというか
毎日平均的にスッキリとした気分で過ごせていることに
自分でも驚き。とってもラク。

糖質の摂り過ぎは身体的な病気のリスクだけでなく
精神的にも、うつ病や不眠・慢性的な眠気などを
引き起こすことがあるしいので
私の今の気分の朗らかさも、もしかしたら
ほどよく糖質を制限しているおかげなのかもしれません。

実際の食生活の上でも
私は元々そんなに白米が好きなタイプじゃなくて
お肉やお野菜を中心に食べたいほうだったし
無理して主食を食べる必要がないとなると
逆に食事の幅が広がったような気もしています。
これまで朝と昼は主食を中心に食べていたところを
朝も昼も、夜と同じように
ちょこちょこおかずを作って色々食べられる。
そんなふうにおかずを増やしても
主食を減らしてOKだから
全体の摂取カロリーは以前と大して変わらない。
このバランスがとても自分にしっくりきていて
なんだか心地よいんですよね。

ちなみに一般的な日本人は
毎日平均300g前後の糖質を摂取していると言われています。
私が実践している130gまで、という目安は
この平均の半分にも満たないくらいなわけですね。
それでもさらに厳しく実践している人の中には
1日60gまでという「スーパー糖質制限」を
目安にしている人もいます。

ただ、私は甘いものに目がないので
ゆるめの基準を採用しておくことで
大好きなスイーツも割と普通に楽しんでいます。
そして、以前に比べてお肉やお魚・油を摂る量が
今は2倍以上に増えたけど
体重はずーっと変わっていません。
糖質制限はダイエットのために取り入れる人も多いですが
太っている人が痩せるのはもちろん
痩せている人は適正体重に
はじめから適正体重の人はその状態をキープするのにも
役立つ(自然にそうなる)食事法なんですって。

続ければ続けるほど、自分の身体にとって
1番快適で健康な状態へと導いてくれる。
糖質制限、なかなかハマっちゃいそうです◎
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2017/08/22 (Tue) 18:21
バセドウ病の治療を始めてから
早いもので3ヶ月が過ぎました。
実は今のところ自分でもビックリするくらい順調で
通院するたびにどんどん薬が減っていくし
特に大きな副作用もなく
「え、いいの?ホントにいいの?」という感じ。

この3ヶ月間の通院は2週間に1回ペースで
ひとまず副作用が起きやすいと言われている期間は
無事に過ぎたので
今後は月に1回の通院でOKになりました。

先生がいつも「バセドウ病の強さを表す数値」
って言ってる血液検査の項目は
いまだにすごく高いままなんだけど
甲状腺ホルモンの値のほうは
今はなんと正常範囲で落ち着いています。
(まぁ、これはお薬のおかげなんだけどね)

暑がりも、手の震えも
嫌な感じの汗をかくのも
心臓がドキドキしてしんどくなるのも
ぱったりなくなって
代わりに、ホルモン値が急激に変わったことで
全身がつる&髪の毛がやたらと抜けることだけが
今はちょっと厄介。
でも、これは先生曰くガマンするしかないのだとか。
それならそれで仕方がないし
それだけ目覚ましいスピードで
私の身体が正常なバランスを取り戻してくれてるってことかな
と思って、ガンバレ私アリガトウ私。

ちょっと前に運動も解禁されたし
きのうの通院で、ミュゼも再開して良いよって
もう特に「これはダメ」ってものはないよって
先生に言われてとても嬉しかった。

そしてバセドウ病と関係あるのか分からないけど
治療を始めてから私、まさかの朝型人間になっているんです。
これまでどんなに自分を鼓舞しても
ムチ打っても午前中に起きることのできなかった私が
今は自然と7時とか8時とかに目覚めてる。
「朝があるって素晴らしい!」
実のところコレがこの3ヶ月で1番の感想。

graves disease | comments(0) | -
2017/08/21 (Mon) 12:40
スマホを触っていると眉間にシワが寄ってしまうこと
仕事に集中していると口が半開きになってしまうこと
私の中には、私の目からは見えない
あなたの見つけてくれた私がたくさんいる。
うそ、やだぁ、恥ずかしいなって、思うんだけど
あなたが笑いながら教えてくれると
恥ずかしい私もどこか愛しい。
そんな私だって、あなたの恥ずかしいところ
いっぱい知ってる。

あぁ夫婦って嬉しいな、楽しいな
夫婦じゃなくても構いやしないんだけど
あえて夫婦、って思ってまた嬉しい。
あなたと私は夫婦なんだ。
そんなとっておきの事実に改めてビックリして
感謝する8月14日。
ありきたりなことが、何気ない日々が
あなたとだから嬉しいんだよ。
いつも一緒にいてくれてありがとう。

結婚3周年、4年目もどうぞよろしくね :-)

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2017/08/10 (Thu) 08:47
今日、8月10日で30歳になりました。
ついについに憧れの30代に突入!!!
と、興奮冷めやらぬわけですが
28歳のときから目標として掲げている
セルフコントロールが最近ようやく
自分の納得のいくレベルで板につき始めたこともあって
私史上最高に理想的な私で
30代を迎えることができています。
何これ出来過ぎじゃない?なんてね
胸を張って20代の私に卒業証書をあげましょう。
おやすみ20代、おはよう30代。
朝日が眩しくてくすぐったくて
今こそ何だってできる気分。

そして肝心の30歳の目標は
何にしようかなぁ、実はまだ考え中。
さっきも出てきたセルフコントロールは
もはや私の生活に根付いていて
朝起きることも
家事を溜めずにすぐやることも
食のバランスを整えることも
美容体重をキープすることも
土日は仕事を休むことも
マイナス思考は5分以内にすることも
大切な人の前ではご機嫌でいることも
自然にできるようになってきた。
何よりこれまで「こういう自分は好きじゃないな」と
モヤモヤしていた部分がほぼほぼ
このセルフコントロールで解消されている。
こんなにスッキリと折り目正しい気持ちで
日々を送ることができているなんて
何これ出来過ぎじゃない?ってね
またしても自分で自分を褒めちゃう。

そうそう、こうして自分を褒める習慣も
変わらず大事にしていきたい。
あとやっぱりセルフコントロールも
2年かけてここまで理想的な循環を生むまでに
発展させてきたわけだけど
これはたかだか2年で終わらせて良い目標ではなくて
何歳になっても人生を通して
掲げておきたいテーマのひとつだ。

初めて私がセルフコントロールを強く意識し始めたのが
過去記事によると2015年のことで
そのとき旦那さんが
「本当の快楽主義者になりたいってこと?」と
返してくれたことも、忘れていたけど思い出した。
「私は快楽主義者だからダラダラします」
っていうんじゃなくて
「私は快楽主義者だから自分の快楽を叶えるために動きます」
っていう指針。
28歳になりたての私がブログに残していたこの指針は
30代でも守っていきたいな。
自分が最高の自分でいられるように
日々、自分をチューニングしていくということ。
そうやって、30歳でもどんどん自分を甘やかすこと。
甘やかしの質を上げること。

そして、いま書いていてもうひとつ思い出した。
種田山頭火の俳句
「それもよからう草が咲いてゐる」
これをいよいよ、30歳からのテーマとしよう!
私の中ではね、この俳句って
これまで自分が座右の銘として掲げてきた
『ひつじが丘』という小説に出てくる台詞
「愛とは許すものだよ、相手を生かすことだよ」
に、通ずるものがあるんですよね。
自分の心の中のことも、自分を取り巻く世界のことも
「それもよかろう」と許せる人でありたい。
何があっても「ま、それも良いよね」と
頷き微笑める人でありたい。
それと同時に、「それ」自体は大したことじゃないんだって
「それも良いけど、あぁ草が咲いてるなぁキレイだなぁ」って
適度に力を抜いて、視点を変えていけちゃうこの感じ
見習いたいし目指したいよね。

欲しいと思うものは、20代でとことん手に入れた。
だから30代は逆に暮らしをシンプルにしていきたいし
もっと軽やかに世界と向き合っていきたいし
重く暗く考えざるを得ないことだって
視点を変えれば軽く明るくなるんだということを
自分で自分に証明していきたい。
環境がどうだって人間関係がどうだって
結局はそれを受け取る自分次第なんだよ。
何よりそう思ったほうが私の人生はずっと楽しい!
今日は最高、でも明日はもっと最高。
そうやってまた、日々を重ねよう :-)


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2017/07/07 (Fri) 01:02
ふと息苦しさを感じるときって、無意識のうちに
0か1か、白か黒かで物事を考えてしまっている。
世界にはもっと、もっとたくさんの
グレーがあって良いんだ、あったほうが良いんだ。
だって、それだけ許される場所が、幅が
広がるってことだもの、ね。
白か黒かをいつも突きつけられる世界じゃ
判断するために生きているのか
生きていくために判断するのか
分からなくなるし
その分からなさこそある意味ではグレーなわけで
結局どこにだってグレーは生まれる。
確かにそこにあるものを無視しようとするから
引っかかるし消耗するし息苦しくなる。
それなら私はグレーを迎える。
正面からグレーを認める。
分からなさをきちんと愛する。
自分がバセドウ病なんだと分かったときもそうだったけど
周りからは「分かって良かったね」と言ってもらえて
みんなが心配してくれていたこと
純粋な優しさを私のために分けてくれたこと
ぜんぶぜんぶ本当に嬉しくて、でもそれとは別に
単純に不思議だった。
分かって良かったのかな?
言ってもらえて初めて私は
自分が心のどこかで、分からなさに対する心地よさを
感じていたことに気付いた。
分かってしまったからには治療しなければならない。
身体を楽にするためには治療したほうが良いに決まってる、けど
分かってしまったことからの逃げられなさって
結構大きいし、白黒ついてしまうことって
上手く説明できないけどとにかく悲しかった。
上手く説明できないから普段は分かって良かった、と
口にするし実際そう思ってもいる。
分かって良かったに決まってるんだ。
でも少しだけ、もうグレーではないことが悲しいんだ。
だって私はグレーをきちんと愛しているから。
分からなさを、愛しているから。

そしてこれはバセドウ病のこととはまったく関係ないけど
なんにも分からないまま消えてなくなれたら良いのにな。
なんてね、気まぐれに思う。
分かるって、重い。知ってるって、重い。
もっとふわふわ軽いまんま、天然氷のカキ氷みたいに
口に含んだ瞬間、溶けて消える。
そんなんだったら良いのに、私も。
そう思うのはきっと、いつの間にかまた
白と黒で物事を考えてしまっているからだろうし
グレーのことを見て見ぬフリしているからだろうし
そんな世界でもがきながらも、確かな過去や知識や自信を
これまで積み重ねてこれたからなんだろうと思う。
実りはあればあるほど重い。
なんだかんだでもうすぐ30歳。30年分。
そりゃあ重くて当然かぁ、なんて
ふふふと笑って、今日も生きる。
なんで笑うんだろって、なんで生きるんだろって
分からないけど、分からないから。

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2017/06/17 (Sat) 13:59
「死にたい」って、贅沢だな。
近い将来には死ぬ見込みがなく
死ぬ自覚もない人だけがこの世で唯一
「死にたい」と思うことを許されている。
「死ぬのかもしれない」事実と直面していたり
死を身近に感じざるを得ない人にとって
思えるのはただただ「死にたくない」ということだけだ。
それはたぶん生物としての本能なのだろうし
人間としてのあまのじゃくさなのかもしれないし
そのいずれでもないのかもしれない。

けど、あぁ幸せだなぁと思わない日がない私にだって
死にたいと死にたくないの間でのたうち回ることはある。
のたうち回っているだけまだマシなのだろうし
意地でも生きることにしがみついていたいと思うこともある。
いずれにせよ私はそうやってジタバタするだけで
私自身の生き死にをコントロールできるわけではない。
それは本当に死にたいと思っているどこぞの贅沢者だって同じ。
自分で自分の死をコントロールできるのは
死にたいと思う人ではなく
思うより前に死んでしまえる人だけなのだ。
それは間違いなく悲劇だけど
時々ほんの少しだけ、羨ましいなと思うこともある。
死はそうして私たちの密かな憧れであり続ける。
だからこそ私たちはどうにかこうにか
死に向かって行くことができる。
恐れと憧れが紙一重なのだとしたら
私の死は間一髪で憧れに転んでいてほしい。
見込みも自覚もまだしばらく持ちたくない私は
せめて、そのように祈る。

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