Ring the Heart
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2015/07/22 (Wed) 14:06
人間は大きな目的のために生きているんじゃない
もっと小さな目的のために生きている


伊坂幸太郎の『モダンタイムス』に
そんな話があった。
最初に読んだときは何とも思わなかった。
だけど読み終わってしばらくしてから
ふと頭に浮かんで
ふと涙があふれそうになった。


そうだよなあ、そうだよな。
生きてて意味があるのかとか
人生で何を成し遂げるのかとか
世界はどこに向かってるのかとか
私たちはたまに考えてしまうし
脈々と続く生命の一部であるだけで
良いじゃないか立派じゃないかって
私に意味はなくても人間の歴史に意味はあるとか
視点を引くことで解決しようとしてみたり
する人だっているんだろうけど
私たちが今を
たった今を生きる気力を得る場所は
ほとんどの人にとってそんなところじゃなくて
あしたのデートが楽しみだとか
渋谷にある牛カツの店に行ってみたいだとか
あのブランドの指輪が欲しいだとか
そういう、目先の欲だよね。


善人ぶって知性のあるフリもして
崇高な使命や目標を語るよりずっと
俗なものにまみれることが楽しいんだ。
それが今、眩しいほどに正しいことだと思えるんだ。
だから私は刹那主義なのかもしれないし
刹那主義じゃなくても同じように感じたかもしれない。
でも、大きな夢なんかきっと
私たちは本当は見なくていいんだ。
目の前にある楽しいこと嬉しいこと
くすぐったくて笑っちゃうこと
そんなもので簡単に生きていけるんだ。
好きだよって言ったら
好きだよって返ってくる
それだけでぴょんぴょん飛び跳ねたくなるほど
しあわせなんだ。


少なくとも私はいま、そうありたい。
大きくて私一人じゃ全貌すら把握できないもののためじゃなくて
5秒後には叶っているような小さな小さなしあわせのために
生きていくよ。


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2015/07/22 (Wed) 03:19
物事はバランスだ。
そんなことは分かっている。
過ぎた日々をバッサリ捨て去ることはできても
未来を無視して生きていくことはできない。
私たちはいまを生きているようでいて
本当は未来を生きている。
未来のために生きている。
だからこそ未来のために生きすぎないようにしたい。
いまは苦しいけど未来のためだから。
そう思った瞬間にいまは未来の犠牲になる。
私がいまを大切にしたいと言うその真意は
いまの私だって生きてるんだってことを
私自身が忘れたくないからで
未来の私ばっかり見ないでよ
いまの私だってちゃんとしあわせにしてよ
いまをしあわせにできない私が
未来をしあわせにできるわけないでしょう
そう、信じているからだ。


信じてるなんて生易しいものじゃない。
どうしたってそうとしか思えないからだ。
だから私はいまの私を喜ばせるために
毎日あれこれ頭をひねろう。
花だって摘もう。
リボンを結ぼう。
私が一番愛しているのは
過去でも未来でもなくいまの私だよって
私に証明してあげよう。
それが、生きることだといまは思う。


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2015/07/20 (Mon) 23:49
世の中のきれいなところしか
見てこなかったじぶんの表現は薄っぺらい。
両親からあふれるほどの愛情を注がれて
身体のどこかに障害があるわけでもなく
他人より上手にできることがたくさんあって
学校の勉強で苦労したこともなく
その時その時で望んだ仕事にすんなり就けて
じぶんの好きなことにお金を使って
ずっとずっと大好きな人と結婚をして
世の中の甘い汁しか吸ってこなかった私は
表現者になることはできない。
だからプロの道を志さなかったわけじゃないし
あの頃はまだ結婚はしてなかったけど
将来の仕事を考えた時に
私が何かを奏でても書いても作っても
そこにえぐみを出すことはできないだろう
ただふわふわした地に足つかないものしか
できないだろうと思っていた。


それこそ甘ったれるなという感じだけど
恵まれていることがある意味では
コンプレックスだった。
誰かに乱暴をされたことがあれば
辛い病気と闘ったことがあれば
お金のない恐怖を味わったことがあれば
剥き出しの悪意を向けられたことがあれば
今の私にできない表現ができるんだろう。
ぼんやりとそんなふうに思っていた。
本当にそんなことが起これば
私には到底耐えられないことも分かっていた。


もちろん、そういう私だからできる表現もある。
でも、数年前の私が気付いたことは
もっともっとかけがえのないことだった。


母方のおじいちゃんおばあちゃんがまだ生きてた頃
「困ったことがあったら話してね
お母さんお父さんに言えないようなことでも
何でもいいから話してね」
って、不思議なくらい何度も言われた。
最初に言われたのはたぶん中学生くらいの頃で
ナイーブに見えていたのか何なのか
今となっては分からないけれど
今になったから分かることもある。


つまり、守られていたのだ。
私は、そうやって、いつだって。
私が世の中のきれいなところしか見てこなかったのは
私に世の中のきれいなところしか見せまいと
必死で守ってくれた両親や祖父母がいたからだ。
考えてみれば当たり前のことなのに
偶然世の中のきれいなところだけを
見続けられるわけなんかないのに
私は随分長い間、そのことに気が付かなかった。
それほどまでにナチュラルに
私は愛で満たされていた。
私が今この上なく幸せに過ごせていることだって
そのほとんどは誰かの意図の賜物だ。
両親や祖父母はもちろん、友達や先生や
先輩や後輩や1度喋ったことがあるだけの人だって
もしかしたらこの幸せに1ミリくらい
関係しているかもしれないし
今この瞬間を語るなら圧倒的な旦那さんの存在や
ほかでもない私自身の意図も。
きっと、そこには含まれている。


だから、私は胸を張るのだ。
コンプレックスなんてお門違いで
だからといって何ができるわけでもないから
せめて、堂々と胸を張るのだ。
世の中の善意に出会うたびに
この出会いは誰かの愛の証明なのだと。
ほかでもない私に向けて
恐れ多くも誰かがそっと向けてくれた
あたたかな愛の証明なのだと。


ハッと顔を上げて生きるだけでたぶん
その気持ちに応えることはできるんだと思う。


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2015/07/18 (Sat) 04:06
「また今度生まれたらアナタがいい
鏡に映る自分が問いかける」
andropのGhostを聴くと
いつもこのフレーズが耳に飛び込んでくる。
また今度生まれ変わってもあなたがいい?
うーん、それはどうだろう。
どうせ生まれ変われるなら
今度はもっと可愛い女の子がいいかな、なんて。


私は「どうせ私なんて」って卑屈になるのが
本当に嫌いで吐き気がするほど嫌いで
私なりに可愛い女の子であれるように
振る舞っているつもりなんです。
ネタとして自虐的になることはあっても
じぶんのことはとても大好き。


そんな私でもかつてはコンプレックスに
押し潰されそうな時期だってあって
「どうせ」とは思わずとも
「もっと」と泣いたことはあった。
もっと可愛い顔に生まれていれば
もっと華奢な身体だったら
もっとツヤツヤした髪になれたら
もっとユーモアのセンスがあれば
もっとあの子に心を開けたら
もっともっともっと。


いつそこを抜けたのか覚えていないの。
たぶん高校生の頃かな。
10代のどこかだったことは確かなんだけど。
ただの思春期だったのかもしれない。


いま私は心から私を気に入ってるけど
生まれ変わってもあなたがいいかと聞かれたら
もう少しスマートな人間がいいとも思う。
あの頃「もっと」と念じ続けた私が
そのまま叶ったような私に
なれるものならなってみたいと思う。
私は決して「もっと」を忘れたわけじゃない。
あの頃の息苦しいまでの嫉妬を
私にないものを持ってる女の子たちへの嫉妬を
別に、昇華したわけじゃない。
いま私がじぶんを好きでいられるのは
「もっと」が消えたわけではなくて
「もっと」を私なりにできる形で
ひとつひとつ手に入れてきたから。
つまり、ただ単純に自信がついただけなんだ。
私にだってできる。
私にだってなれる。
可愛くなれる。
幻想かもしれない。
でも鏡に映る私はどんどん
私の好きな私になっていって
私はそれが純粋に嬉しい。


そんなふうにハンドメイドで作り上げてきた私だから
また生まれ変わって同じことする?
って思ったら、それはないなあ勘弁してよ
って笑ってしまう。
一生懸命書いた原稿を保存し忘れて
もう1回最初から書き直すことになったら
「あーーーまじかーー」て脱力してしまうのと同じ。
2回目がないことを無意識に信じてるから
がんばれる今なんじゃないのって
現世の私は、思っているのです。


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2015/07/14 (Tue) 01:19
ただ消費するだけの人生なんて
つまらないと思っていた。
生きているなら創造すべきだ。
そう思って学生の頃は
本当にたくさんの作品をつくった。
ものづくりができる会社にも就職した。
その会社を卒業してもまた今度は
自分の考えを言葉にすることでお金をもらっている。
アウトプットだらけの人生だ。
たぶん、だからなのかな。
今になって私、とにかくインプットしたいんだ。
今年はこれまで以上にアートな1年にすると決めて
映画や本やライブや美術展を手当たり次第
楽しむことにしている。
そうやって純粋に消費者でいても良い身分の
心地よさがやみつきになっている。


消費よりも創造に価値があるなんて
今はまったく思わない。
生みの苦しみは五臓六腑に沁み渡っているし
創造に対するリスペクトはあるけど
それと同じくらい
消費に対するモチベーションがある。
こんなに積極的に消費を楽しみたいのって
たぶん私の人生至上初だと思う。
そのあとどんな展開があるかは
さっぱり分からない、だから
世の中にあふれるコンテンツから
アンテナに引っかかったものを消費するのと同時に
私は今そのものをきっちり消費したい。
変な余力残したりしたくない。
今は当たり前だけど今しかなくて
明日にお取り置きはできないの。
明日は明日の自分がなんとかしてくれる。
だから今は今の自分を精一杯
消費しきろうよ、そんな気分。


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2015/07/11 (Sat) 04:48
なんとなく、早死にするんだろうなと思う。
だってそう思わないとおかしいくらい
私は多くのものを与えられすぎている。
かわいそうだから生きてる間くらい
めいっぱい楽しいことを詰め込んであげるよ
そう神様が微笑んでいるような気がする。


私は意外と、それで良いと思っている。
人より命が短くても(しらないけど)
望んだことが順調に叶っていくこの快感を
私はぜったい、手離したくない。


私の神様は私贔屓だ。
これからもたくさんのことが叶うように
私は私の好きなものをとことん精一杯
執念深く愛すよ。


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2015/07/08 (Wed) 16:10
たとえば余命3年なら何をするかなと考える。
余命5年なら?10年なら?
そうやって数字を増やしていくと
何が変わるかを考える。


別に、余命1年だとしてもやるだろうと思えることを
やれるような今日であるべきだとか
そんなことを言いたいわけじゃないし
私は余命がどれだけ短くても
たぶん、特別なことをしたくない。
だって特別なことをすればするほど
きっと悲しくなってしまうから。


いや、それはかなり嘘かな。
もし余命1年なら、旦那さんに1年だけ
休職してもらいたいと思うかもしれない。
最後の1年を本当に余すところなく
旦那さんと過ごしたいと思うかもしれない。
もし余命3年なら、休職はちょっと長すぎるから
結局いつも通り過ごすかもしれない。
余命5年ならもっと気にせず過ごせるかもしれない。
そうやって考えていると
どうやら私の悲しみと焦りの現実感の範囲は
1年なんだなあと気付いたりもする。


でも逆に余命1日とかなら
案外まな板の鯉になってしまうかもしれない。
余命は極端に長くても短くてもリアルじゃない。
いつか死ぬのは現実なのに、不思議ね。
余命なんてさっぱり分からなくても
時々現実感の薄くなる毎日で
私は十分、手一杯かも。



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2015/07/03 (Fri) 01:37
たまに、世界は何かのつもりでできているんじゃないかと思うことがある。
愛のつもり、優しさのつもり、分かっているつもり、大人のつもり、夫のつもり、妻のつもり、母のつもり、赤色のつもり、見てないつもり、伝えているつもり、持っているつもり、知らないつもり、楽しいつもり、生きてるつもり。
全部何かのつもりで本当なんてひとつもないから、私はこんなに無責任でいられるんじゃないかと思うことがある。
無責任でいても笑っていられるんじゃないかと思うことがある。


私はどうも昔から、生きている実感が薄くて。
たぶん人よりものすごくしあわせな気がするんだけど、だからこそかな。
これが本番なわけはないってどこかで思っているのかもしれない。
出来過ぎている。


だから他人もそうなのかしらと考える。
あの人もこの人も何かのつもりでいるだけで
本当は何でもなかったら、面白いなあ。
私たち、何かのつもりだと思えば何にだってなれるし
何だってできちゃうんだろうなあきっと。
そんなふうに考える。


結局世界なんて思い込みの産物なんだ。
私はこの結論が意外と好きで
思い込んだだけの役割を真面目にコツコツ
果たそうとする人も意外と好きだ。
馬鹿になんてしないんだ。
ほかでもない私が一番、私のつもりなんだから。


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2015/06/13 (Sat) 02:19
じぶんをかわいそうだと思うことは嫌いで
そんな悲劇のヒロインぶってる暇があったら
楽しくなれるように動きたい。


負の感情を垂れ流すことも嫌いで
どれだけ嘘臭くたって構わないから
物事は明るい面から見たい。


身近な人にも心のどこかで
それを望んでしまう気持ちが嫌いで
期待しない、求めない、否定しない。
呪文のように言い聞かせるけど
なかなかぜんぜん、守れない。


すぐ期待する。
なんでも求める。
つい否定する。
大切にしたい人ほど甘えてしまって。


私なりにもがいてるんだよなんて
がんばってるアピールするのはとても嫌いで
がんばってるかがんばってないかは
私の問題で相手に押し付けることじゃないし
どれだけがんばってもできてないなら
言い訳なんだよ、救えないんだよ。


大切な人を悲しませてまでしたいことなんてない。
最近ふとそう思うことが増えた。
ずいぶん守りに入っているのね。
おかしくって、でもほんとうで
がっかりするよ。
ああ意気地なし。


でも頭ではよくわかっている。
大切な人はあくまでも大切な人で
それがどれだけ、しあわせなことか。
大切な人はあくまでも大切な人だから
守っていきたいんだずっと一緒にいたいんだ。
そこに理由がないから愛すんだ。


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2015/06/04 (Thu) 01:57
ああそうかと思いました。
私は何も追っていない。
どうしてもこれが嫌だとか
どうしてもこうなりたいという
憧れがない。
さしあたってすべて
叶えてしまったから。
とんでもなく居心地の良い時間を
私は今、過ごせているから。


andropのライブに行って
1年前の私なら泣いたかもしれないところで
泣きませんでした。
何かに漠然と耐えていたり
毎日が少しずつ憂鬱だったり
そういう時にしか響かない言葉って
きっとあったと思うんです。
自覚すらしていないような
ストレスをそっと撫でられるような
そんな経験をandropに限らず
ライブハウスで私は何度もさせてもらいました。
その度に涙がこぼれました。
でも今日はもう、こぼれませんでした。
それが少しだけ寂しかったけど
それだけ私が大きく前に進んだんだと
思えて切なくなりました。


私はようやく
大人になったのかもしれません。


社会に出て会社員として
働くから大人だと思ってた?
不思議だよね。
勤めてた時より今のほうがよっぽど
大人だなあと思うの、じぶんのこと。
毎日ふわふわ過ごして
行きたいところにどこでも行って
気が向いた時にちょっと仕事して
今のほうが、なんでもじぶんで決められるの。
やってることは子どもみたいなんだけど
私はたぶん、私がなりたいと思っていた
大人にたどり着けたのかな。
まだ、そうだ!とは言えないけど。
そんな予感がして、だから今更になって
ようやく大人になれたのかなあって
思ったりしているんですよ。


真夏がきたら、またひとつ歳を重ねる。
そろそろ次に、いってみますか?


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