2020/01/03 (Fri)

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2020/01/03 (Fri) 22:08

前にこのブログ書いたのいつだっけ?と見返したら

まさかの2018年10月でした。

たまにはぽっかり宙に浮かんだままの年があるのも良い◎

何はともあれ2020年、あけましておめでとうございます!


思えば2010年に社会人になってから

最初の5年はSEとして人並みにお金を稼ぎ

次の5年はフリーに転じて商業的な文章を書きつつも

趣味と遊びにとことん傾き

今これからの5年を考えるにあたって

その反動が少なからずきているような気がします。


これまでひたすらドライに接してきた仕事に対して

私史上初めて、生きがいを感じるのも

なかなか良いんじゃない?ていうか楽しいんじゃない?

っていう思いが、自分の中にもうそれこそ

パンパンに詰まっちゃってるんですよね。

ワクワクするんですよね。

去年、友だちが誘ってくれて始めた仕事は

これまで1番避けてきた人とのコミュニケーションが

すべてと言っても過言ではない仕事で

でもスタートアップならではの、これから自分も

信頼できる友だちと一緒に会社を作っていける

その一員になれるという面白さがあって

働き方も実際の仕事の進め方も

自分で決めて良い部分がとても多いことに

日々刺激と心地良さを両方実感しています。


そういう仕事を得られただけでも幸せなのに

私、今とっても勉強したい欲が高まっていて。

具体的な内容の候補も3つまで絞れているので

あとはこの先の5年だか10年だか分からないけど

どういう成果を目指して、どういう計画で

どういう順番で進めていくのかっていうのを

もう少し詰めたいなぁと思っているところです。


遊びよりも仕事と勉強だなんて

それこそ去年の今頃の私には想像もつかない未来だったね。

これだから人生ってやつは!

2020年代もガチで面白くなりそうな予感に

はち切れそうだよ、今年もよろしく。


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2018/10/27 (Sat) 04:28
「選んで 選ばれて あなたといる」
( by androp『Hikari』)

って、改めてすごいことだなぁと思う。
最近1番お気に入りの曲。
出だしの歌詞も素敵なの。

「365日をあなたと過ごせたら
思い通りにいかない日があっても
それすら幸せと呼びたい」

地に足ついてるなぁと思う。
私が1番好きな幸せの形。
ただボーダーラインが低いだけかもしれない。
地上すれすれに這いつくばっているだけなのかもしれない。
でもそれで私は息ができる。
それ以上を願うことももちろん大事。
でもたった今の自分に満足することはもっと大事。
私が生きられるのはいつだって今だけだから
どんな瞬間だって今の自分を好きでいるし
今の自分がみじめになるような感情は抱かない。
誰も今の私を犠牲にして良いはずはない。
それが私自身なら、なおさら。

そしてたぶん、こういうすべての考え方の
根っこにあるのはずっと昔から旦那さんで
なんていうかな、ただいてくれるだけで
私の人生、大成功なんだよね。
今私が旦那さんと一緒にいられるのは
旦那さんを選んで、旦那さんに選ばれたからで。
そばにいること、そのものが
相手の存在を丸ごと肯定しているわけなんだよね。
そしてそれがお互い、そうなわけなんだよね。
なんかもうそれって幸せすぎない?
こんな幸せなことが世界に、私の人生に、あるなんて。
それだけで涙が出てくるくらい感動するの。

大事にしよう、大事に生きようって
思わずにはいられないよね。
ありがとう世界。
ありがとう旦那さん。
今日もまたまっさらな今を生きられることが
私は本当に嬉しい。
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2018/10/02 (Tue) 02:38
よく過去は変えられないって言うけど
それは違うと思う。
人間なんて単純な生き物だから
今の状態次第で過去の捉え方なんていくらだって変わる。
確かに事実は変えられないけど
その事実を自分がどう思うかは
いくらだって変えられるんだ。
だから過去を変えるのはいつだって今。
未来を変えるのもいつだって今。
今の生き方次第で過去も未来も本当は
自由自在に変えていくことができる。
私たちはたまにそれを忘れてしまいそうになるけど
そういう当たり前のところを丁寧に押さえていくかどうかで
人生の出来ってそれこそ変わると思う。

今こそすべてだ。
今が人生だ。
今を捨てたり犠牲にしたりすることで
解決できることなど何もない。
たまに休むのは良いと思う。
好きなだけ休めば良いと思う。
だけど今と向き合うことだけが
幸せをつかむ唯一の道だって
私はもう知っているから。
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2018/07/25 (Wed) 23:15
私って旦那さんがいなくても笑えるのかなって
最近ふと思った。
正解はもちろん笑えるし
実際友だちといるときでも1人のときにも
問題なく笑えているんだけど。
でもそれは旦那さんといるときの笑い方とは
ぜんぜんまったく違うことも分かっていて
なんていうか心の底から
あぁ楽しいなぁ安心だなぁ満たされるなぁって
温泉に浸かるみたいな気分。
たとえその日がどんなマイナスでも
ギュイーンてゼロを通り越して
プラスに振り切れる感覚。
雲が晴れるような
丸まって眠る猫のような。
あまりにも大きくて無敵なものに
私は日々包んでもらっているんだな。
願わくばその裏面で旦那さんを包み返せる
リバーシブルな愛を私は手にしたい。
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2018/07/25 (Wed) 00:57
人が死ぬ瞬間に感じる5つの後悔、という記事を見かけた。
オーストラリアの緩和ケア病棟で働いていた看護師さんが
実際に末期患者から告げられた後悔の言葉で
最も多かったものをまとめた項目らしい。

1. 他人の期待に沿う人生ではなく、自分の生きたい人生を生きればよかった
2. あんなにたくさん働かなければよかった
3. 自分の本心を伝えておけばよかった
4. 友だちと連絡を絶やさなければよかった
5. 自分自身が幸せでいることを、もっと大切にすればよかった

これを見て私は正直ホッとした。
1・2・5に関してはもうまったく100%問題ない。
むしろ1・2・5の後悔を抱かないことだけに
邁進してきた30年だったと言っても過言ではない。
もちろんそれがよくある人生最後の後悔だなんて
過去の私はまったく知らなかったわけだけど
私の思う私という人間がそもそも
自分至上主義であり自分が今幸せであることが
他の何よりも優先されるべきだと信じ切っている。
実際その通りに行動してきた自負もあるし
これからもグイグイ幸せを拡充していく自信がある。
自分を幸せにすることはほとんど私の趣味のようなもので
改めてそういう方向性で生きてきた自分に感謝した。

残りの3と4についても、80%くらいは問題ない。
ただ、この2つはもしかしたら私も最期に
ふっと後悔することになるのかもなぁと
現段階で20%くらい思っている。
私の人生があとどれくらい残っているのか
知る由はもちろんないけれど
今後この数字をできる限り小さくしていくこと
後悔の立ち入る隙をなくしていくこと
目指してみても良いのかもしれない。
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2018/05/20 (Sun) 15:08
なんでもいいよ。
どうでもいいよ。
そう思えることが心地よい5月。
ずっとね
あれがいいあれじゃなきゃイヤだダメだって
自分でもなんでそこまで?って思うくらい
いろんなものに執着してきたから
それがなくなると人生の温度はグッと下がる。
けど外の気温が高い日には
それくらいがちょうどいいこともあるよね。

なんでもいいよ。
どうでもいいよ。
歌うように考える5月。
たまにはギアをローに入れて
徐行運転したっていい。
そしたら周りの景色が見えるし
息だってつける。

涼やかに肌を撫でる風。
柔らかいヴェールのように揺れる木漏れ日。
伏せたまつ毛で感じる陽射しのきらめき。
芽吹く緑の色濃い香り。
遠くまで透き通る小鳥のさえずり。
五感を満たす生命、生命、生命。

なんでもいいよ。
どうでもいいよ。
この圧倒的な美しさの前ではもう
私はすべてを許せてしまう。
そんな生命が私の中にもちゃんとある。
世界と自分が溶け合って
ひとつの健やかな生命であると思える。
この圧倒的な万能感の前でただ
ただ、私は幸福を噛み締めている。
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2018/04/23 (Mon) 19:04
足りないもの探しはやめよう。
足りなくて当たり前なんだからさ。
一体自分がどれだけのものを
持てていると思ってるの?
ほんのわずかだよ、でもかけがえのないものだよ。

yukoは挫折を知らない、と母は言う。
その通りだと思う。
私の人生はほぼほぼサニーサイドでできていて
ダークサイドに紐づく記憶が極端に少ない。
それは単なる記憶の問題なのか
私の受け取り方の問題なのか
そもそも不遇や不運が本当に少なかったのか
自分自身では判別できない。
でもプラスのエネルギーに満ちた自分が
少なくとも私は大好き。
そのせいで他人の痛みを理解できなかったとしても
それは私の問題ではない。
(もちろん誰の問題でもない)
痛みなんて元々抱える人によって千差万別。
「同じ悩み」は存在しないし
ただどれくらい似ているかの背比べでしかない。

逆に言えば誰とでも
共感し合えるポイントは必ずある。
世の中を0と1に分けるだけでは
見えてこない感情もある。
ここは分かる、ここは分からない
でもここは分かるような気もするし
分からないような気もする。
それでいいと私は思う。
もっと言えば分かっても分からなくても
どちらでも構わないと思う。
人と人がつながるときに
共感は確かに大切だけど
決してそれがすべてではない。
共感より切実な理由は山ほどあって
この人といたい、その理由が何であっても
人が人を必要とする想いは等しく尊い。

私は足りないものだらけだし
だからこそこの先まだまだたくさんの
新しいものを手にすることができる。
私はそんな自分の余白に
今もこれからもワクワクするよ◎

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2018/03/27 (Tue) 13:34
やりたいことが多すぎて
たまに爆発してしまいそうになる。
いつも優先順位のリストを頭に描いて
上からやるようにしてるから
日々の満足度自体は高いし
後回しにしているうちに死ぬのだけは嫌だから
下のほうまでまんべんなく...と思うけど。
たまに何ひとつ重要なことができていないような
気がしてしまったり
すべてを取り逃がしているような
気がしてしまったり。
100%ただの気のせい。
私は私のためにできていないことも
確かにあるけどできていることも必ずある。
だからマイナスを取り除こうとするんじゃなくて
プラスを積み重ねていこう。
自分のマイナスはマイナスとして受け入れる。
その上でプラスを増やせばいつか必ず
総合的にはプラスになるのだから。
私はいつでもそうやって
あらゆることをプラスにしてきたのだから。
もっと長い目で見るんだよ。
でもちゃんと今を見るんだよ。
この2つの視点が私を必ず
理想の私に引き合わせてくれるから。

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2018/03/20 (Tue) 22:36
日々の生活に何ひとつ欠けたものがなくても
人間であるということ自体がそもそも大きな欠損で。
みんなそうだから、という事実は
個人の苦しみや痛みとはまったく
無関係なのだということを私たちは時々忘れる。
同じ条件なら苦しくて当然?痛くて当然?
そんなことないよね。
苦しいものは苦しい、痛いものは痛い。
そこに弱さや強さはない。
苦しい、痛いという現実に苦しむ人がいるなら
それは丸ごとその人だけのもので
他の人がとやかく言えることではない。
大したことないなんて、贅沢な悩みだなんて
言うのは自由だけど、想像力がなさすぎる。
それと同時に、自分の苦しみや痛みが
他人に理解されるという前提で行動するのも
同じくらい想像力のないことだ。
残念だけど、それもまた人間の欠損だから
仕方ないし挙げていけばキリがない。
私たちはもっと仕方ない
どうしようもないことの存在を認めるべきだし
そういう欠損からくる原因のない苦悩や
解決策のない悲しみがあることを
少なくとも分かっているべきだと思う。
人間は賢い、人間はしぶとい
だけどそれはあくまでも人間の圧倒的な無力さを
カバーするための能力でしかないことを。
私たちは本来矛盾だらけな命なのだということを。
世の中とは今自分に見えている世界の
外側にあるものなのだということを。
私は自分のできる精一杯で
学び続けていきたいと思う。

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2018/03/16 (Fri) 22:11
andropのニューアルバム
cocoonの中に入っている
Memento mori with Aimerの中に
こんな歌詞がある。

「生きてるのが望み通りじゃなくても
(中略)
生きてるんだよ その命ちゃんと見してよ」

この、望み通りじゃなくても
っていうフレーズを耳にした瞬間
なぜか泣けて泣けてしょうがなかった。
私は何でも自分の思い通りにしたい。
思い通りにならなきゃイヤで苦しくて
自分で自分の首をしめていると感じることが
最近少しずつ増えていた。
もちろん圧倒的に幸せなのだ。
それはもう一生変わらないのだ。
でもその上でもう消えてしまいたいとか
すべてをなかったことにしたいとか
思うこともあるのだ人間だもの。
でもそんなグチャッとした気持ちにこの
「生きてるのが望み通りじゃなくても」が
本当にスーッと沁み渡った。
最初は歌詞を見ていなかったから
耳だけで聞いて
「生きていくのが望み通りじゃなくても」
かと思っていて
だから余計にシンクロしたのかもしれないけど
あぁこんなに救われるんだなぁって
たったひとことで、たったワンフレーズで
こんなにすべて許されたような気持ちになるんだなぁって
久しぶりに音楽で心を解放してもらいました。

実はこの曲だけじゃなくて
同じアルバムのCatch Meっていう曲にも
こんな歌詞がある。

「時間に追われる日々
それでも変わらない日々
今なら向かい側のホームに飛べそう
「人生は一度きり」分かってる」

内澤さんがどういうつもりで
これを書いたのかは分からない。
でも私はもう自分を終わりにしたいと思うとき
でも終わったら本当に終わるんだって
当たり前のことだけど思って踏みとどまる。
人生は、命は一度きりだからね。
一度終わればそれでもう何もなくなる。
そう思うと安心できて
終わる前にもう少し蛇足で生きようか
なんてね、結局そんなおまけみたいなもんなんだ
私が今生きてる日々って。
だからこそ好き勝手にできるんだ。
でも本当はそこまで潔く
いつ終わりにしたって良いって
思えているわけでもない。
結局私は中途半端なんだ。
まだまだ死ぬ覚悟なんてできてないんだ。
だから生きる覚悟もぬるい。
でもそれで良いじゃない。
コレと決めたらそこに向かって突っ走る
そういう生き方はもう十分満喫したよ。
コレと決めてもアレもソレも
全部私なんだよなぁってぼやけるくらいが
今の私には好ましいよ。
覚悟がなくても死ぬときは死ぬ。
だからもう今は無心で生きよう。
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