Ring the Heart
配布中blogテンプレート一覧 : 利用規約をよんでね◎

Twitter : Follow me !!
Love it. : クラシックカメラで撮った写真たち
《裸眼》 unaided vision : 現在進行中の写真プロジェクト
あんにゅい。 : 個性派Webテンプレート / お題, 質問素材 etc...
ふたりごと : 彼とふたりで文章書いてます *
2015/09/04 (Fri) 04:20
本当に好きなものを少しずつ。
とても良い考え方だなあと思った。
本当に好きなものを両手にいっぱい。
これが私の人生のポリシーだけど
たまには少しずつっていう特別感も
悪くないね、上品だよね。


豊かさについて考える。
欲しいものすべてを手にしていることって
ひとつの豊かさではあるけれど
あれが欲しいなこれも欲しいなって
わくわくできる余地があることを
豊かなことだと思うのも良い。


余地。また私の大好きな余白だ。
美しいものは実体と余白のバランスが良い。
どちらが大きくても構わない。
直感的に美しいと思えるバランスを
私は渡り歩いていきたい。


つまり。
より多くを手にしたい時には
実際手にして満たされればいいし
より多くときめきたい時には
少しだけつまんで残りは憧れと呼べばいい。


でももっと肝心なのは
「両手にいっぱい」でも
「少しずつ」でもなくて
「本当に好きなものを」のほうだろうね。


目の前にあるものが本当にじぶんの好きなものかどうか
判断するのはとてもむずかしい。
じぶんとは1番身近な他人なのだって
どこかの偉い人も言ってたけど
本当にそうだと思うよ実際。


さらに実際、本当はじぶんが好きじゃないものに
囲まれることほどつまらないことはない。
だからじぶんとはしっかりコミュニケーション
取らなきゃいけないんだと思う。
じぶんはこれが好きか、本当に好きか。
きちんと考えなきゃいけないんだと思う。


;) | comments(0) | -
2015/08/30 (Sun) 04:09
本人がそれを間違っていないと思う限り
その人にとって間違っているのは私のほうなんだ。
だから私はぜったいじぶんを被害者だとは思わないの。


じぶんだけが○○だっていう被害妄想はね
視点を変えればすぐにそんなはずないって分かるの。
じぶんだけが正しい
じぶんだけが要領が悪い
じぶんだけが上手く人とコミュニケーションできない
じぶんだけが頑張ってる
じぶんだけが本当のことを分かってる
じぶんだけが我慢してる
じぶんだけがじぶんだけがじぶんだけが。


じぶんだけが○○だっていう傲慢な勘違いはね
無意識のうちに愚痴になるの。
みんなそうやって喜々として
みっともない顔と言葉で
じぶんだけが上手くできない自慢をするの。
面と向かってなくても今時のSNSでもそうよ。
もちろん私は
辛いのもがんばってるのもみんな同じなんだから
だから愚痴るなって言いたいわけじゃないの。
みんな同じでも辛いのはひとりひとりなの。
だから分かるの、分からないことが分かるの。
誰かの痛みを私には一生理解できない痛みを
その人が抱えてるんだろうということは分かるの。
だから私が「じぶんだけが」って思う裏側で
そんな私を見て「じぶんだけが」って傷付いている
ひとがいるかもしれないことも分かるの。
そんな時私は加害者なの。
だから私はぜったいじぶんを被害者だとは思わないの。
ある側面では加害者だけどある側面では被害者だなんて
ややこしいことも思わないの。
私はいつだって無意識に誰かを傷付けているんだろうと
誰かを踏みにじっているんだろうと
思いながら生きているの。
それが心地よい時もあれば
急に不安になる時もある。
でもじぶんは加害者だなあって思うことで
良いことはたくさんあるの。
元から誰かを傷付けていたり
憎まれていたりするわけだから
人から嫌われることに関して心の準備があるし
特別残念なことだと思わない。
何か悪いことが起こっても
そういう報いを受けるだけのことを
じぶんはどこかでしてしまったんだろうなって
納得できるから悲しくない。


もちろんここまで長々話したことは全部
私の勘違いにすぎない、でも
私は加害者だっていう勘違いは
私は被害者だっていう勘違いより
ほんの少しだけマシだと思わない?
ほんの少しだけ心がけスカッとすると思わない?
私はねとても清々しい気持ちになれるから
これからも進んで加害者でいるよ。
みんなの心をポキポキ折るよ。
もちろんぜんぶ冗談だけどね。


;) | comments(0) | -
2015/08/26 (Wed) 05:21
じぶんの生活にぜんぜん
追いつけていない感覚があったのだけど
ようやくだんだん背中が見えてきました。
何もかも取りこぼしたくないって
思うことは決して欲張りなわけじゃなくて
要領が悪いだけだね。
何もかも手にできているときは
決してそんなこと思ったりしないもの。


いろんなものが溜まっていることに
むしろワクワクしたほうがいい。
私の前に回り込むことだけが
私をびっくりさせる方法じゃない。
そもそも私はあんまり大きく
驚くことが苦手じゃないか。


それなのにあっちこっち
飛び回って刺激を求めてしまうのは
とても良いことだね、私にとって。
28歳は積極的に仕事をするって
決めたから趣味もよりアクティブになってる。
私はバランスなんか取りたくない。
決められた容量なんて守りたくない。
仕事を増やすなら遊びだって増やす。
より渦が大きくなる。
吸い込まれるのはとても
とてもスリリングだ。


;) | comments(0) | -
2015/08/15 (Sat) 11:21
脳が積極的にいろんなことを吸収できるのは
30歳まで。
そんな話を友達から聞いて
気になって少し調べてみたら
30歳を境に脳の仕組みは少し変わるらしい。
いろんな説があるのだろうけど
私が見かけた一説によると
30歳からは20代までにインプットした
たくさんの物事やそれによってできた回路が
次々に繋がっていくらしいのですよね。
新しい回路を生み出すよりも
すでにある回路同士を繋ぐんだって。
だから20代のうちには考えもしなかった
アイデアが思い付いたりもするんだって。
逆に言えば30歳からの化学反応を
より鮮やかに起こすためには
20代のうちのインプットが本当に大切で
私は偶然にも2015年を
インプットの年にしようと決めているので
その目標はそのままグイグイ進めていこうと
改めて思ったわけなのです。


前置きが長くなりましたが
8月10日で28歳になりました。
Instagramのアカウントを2つ増やしました。
やりたいなーと思ったことを
「よし、やろう!」と思った瞬間には
すでに始めているところ
じぶんの美点じゃないかしらと自惚れています。
ささやかなことですが
たかがInstagram、されどInstagram。
絞った世界観で何かを構築していくことが
いま、とてもやりたいことで
それを励ましてくれる人がいくらでもいる
Instagramは私の中でいま1番ピンとくるメディアだ。
じぶんがね、ああこれは美しいって
思える景色をつくりたいのですよね。
小さく小さく、つくって大事に
眺め回していたいのですよね。
ひとつは私が本当に好きな
ふわふわハイキー写真だけを載せるアカウント。
もうひとつはお洋服やコーデを中心にした
ファッションアカウント。
どちらのアカウントも、投稿したあと
サムネイルで写真を一覧するのが
いまのちょっとしたお楽しみです。
新しいじぶんの居場所になれるようなものを
目指してやっていこうと思っています。


それから28歳の大きなキーワードとして
セルフコントロールを挙げたい。
そんな話を旦那さんにしたら、即座に
「本当の快楽主義者になりたいってこと?」
と返ってきて、あまりの理解の早さにゾクゾクしたよね。
まさにそうなんです。
さっきのInstagramの話もそうだけど
生活全般に対してね
私は本当の快楽主義者でありたい。
「私は快楽主義者だからダラダラしたいときはダラダラします」
ていうんじゃなくて
「じぶんの快楽を叶えるために動きます」
ていう指針を徹底したい。


だからなるべくポジティブに過ごすし
家事をいつまでも溜め込んだりしないし
他人に機嫌よく接するし
仕事を締め切りギリギリまで放置もしないし
もっと言えば仕事を増やしたい。
回り回って戻ってきたけど
やっぱり楽しい思いをたくさんするには
お金があるに越したことはない。
だからね28歳はわりとちゃんと
仕事をしようと思うんだよね。


じぶんに厳しくするんじゃない。
甘やかしの質を上げるんだ。


28歳、始まった私はそんな感じ。


;) | comments(0) | -
2015/08/08 (Sat) 03:53
「10」という数字が好きだ。
10日生まれだし
なんとなく満ちている感じがするし
1と0を別々に見たら二進数で2だし
別に2は好きでも嫌いでもないけど
捉え方次第で意味の変わるところが好きだ。


でも昔からなぜか
「10」より「9」のほうがもっと好きだ。
理由はひとつで
ケタが上がる一歩手前の数だから。
だからなんで好きなのかまでは分からない。
結局ただの直感なのかもしれない。
ケタが上がるとまた出直しという感じがするけど
9なら一桁では最大だから
てっぺんみたいな気がするのかもしれないし
10をひとつのてっぺんだとするなら
9はその一歩手前だから
いつまでたってもてっぺんにたどり着くまでの
わくわく感を味わえている気になるのかもしれない。


さっき2は好きでも嫌いでもないと言ったけど
そういえば結構好きなほうで
その理由も1の次の数だから、だった。
1を逆のてっぺんとするなら
2はそれを追いかけている存在で
2でいられる限りずっとわくわくしていられるような
気がしていたのを思い出した。


なんか、私はとりあえず
わくわくするのが好きみたいだね。


;) | comments(0) | -
2015/07/22 (Wed) 14:06
人間は大きな目的のために生きているんじゃない
もっと小さな目的のために生きている


伊坂幸太郎の『モダンタイムス』に
そんな話があった。
最初に読んだときは何とも思わなかった。
だけど読み終わってしばらくしてから
ふと頭に浮かんで
ふと涙があふれそうになった。


そうだよなあ、そうだよな。
生きてて意味があるのかとか
人生で何を成し遂げるのかとか
世界はどこに向かってるのかとか
私たちはたまに考えてしまうし
脈々と続く生命の一部であるだけで
良いじゃないか立派じゃないかって
私に意味はなくても人間の歴史に意味はあるとか
視点を引くことで解決しようとしてみたり
する人だっているんだろうけど
私たちが今を
たった今を生きる気力を得る場所は
ほとんどの人にとってそんなところじゃなくて
あしたのデートが楽しみだとか
渋谷にある牛カツの店に行ってみたいだとか
あのブランドの指輪が欲しいだとか
そういう、目先の欲だよね。


善人ぶって知性のあるフリもして
崇高な使命や目標を語るよりずっと
俗なものにまみれることが楽しいんだ。
それが今、眩しいほどに正しいことだと思えるんだ。
だから私は刹那主義なのかもしれないし
刹那主義じゃなくても同じように感じたかもしれない。
でも、大きな夢なんかきっと
私たちは本当は見なくていいんだ。
目の前にある楽しいこと嬉しいこと
くすぐったくて笑っちゃうこと
そんなもので簡単に生きていけるんだ。
好きだよって言ったら
好きだよって返ってくる
それだけでぴょんぴょん飛び跳ねたくなるほど
しあわせなんだ。


少なくとも私はいま、そうありたい。
大きくて私一人じゃ全貌すら把握できないもののためじゃなくて
5秒後には叶っているような小さな小さなしあわせのために
生きていくよ。


;) | comments(0) | -
2015/07/22 (Wed) 03:19
物事はバランスだ。
そんなことは分かっている。
過ぎた日々をバッサリ捨て去ることはできても
未来を無視して生きていくことはできない。
私たちはいまを生きているようでいて
本当は未来を生きている。
未来のために生きている。
だからこそ未来のために生きすぎないようにしたい。
いまは苦しいけど未来のためだから。
そう思った瞬間にいまは未来の犠牲になる。
私がいまを大切にしたいと言うその真意は
いまの私だって生きてるんだってことを
私自身が忘れたくないからで
未来の私ばっかり見ないでよ
いまの私だってちゃんとしあわせにしてよ
いまをしあわせにできない私が
未来をしあわせにできるわけないでしょう
そう、信じているからだ。


信じてるなんて生易しいものじゃない。
どうしたってそうとしか思えないからだ。
だから私はいまの私を喜ばせるために
毎日あれこれ頭をひねろう。
花だって摘もう。
リボンを結ぼう。
私が一番愛しているのは
過去でも未来でもなくいまの私だよって
私に証明してあげよう。
それが、生きることだといまは思う。


;) | comments(0) | -
2015/07/20 (Mon) 23:49
世の中のきれいなところしか
見てこなかったじぶんの表現は薄っぺらい。
両親からあふれるほどの愛情を注がれて
身体のどこかに障害があるわけでもなく
他人より上手にできることがたくさんあって
学校の勉強で苦労したこともなく
その時その時で望んだ仕事にすんなり就けて
じぶんの好きなことにお金を使って
ずっとずっと大好きな人と結婚をして
世の中の甘い汁しか吸ってこなかった私は
表現者になることはできない。
だからプロの道を志さなかったわけじゃないし
あの頃はまだ結婚はしてなかったけど
将来の仕事を考えた時に
私が何かを奏でても書いても作っても
そこにえぐみを出すことはできないだろう
ただふわふわした地に足つかないものしか
できないだろうと思っていた。


それこそ甘ったれるなという感じだけど
恵まれていることがある意味では
コンプレックスだった。
誰かに乱暴をされたことがあれば
辛い病気と闘ったことがあれば
お金のない恐怖を味わったことがあれば
剥き出しの悪意を向けられたことがあれば
今の私にできない表現ができるんだろう。
ぼんやりとそんなふうに思っていた。
本当にそんなことが起これば
私には到底耐えられないことも分かっていた。


もちろん、そういう私だからできる表現もある。
でも、数年前の私が気付いたことは
もっともっとかけがえのないことだった。


母方のおじいちゃんおばあちゃんがまだ生きてた頃
「困ったことがあったら話してね
お母さんお父さんに言えないようなことでも
何でもいいから話してね」
って、不思議なくらい何度も言われた。
最初に言われたのはたぶん中学生くらいの頃で
ナイーブに見えていたのか何なのか
今となっては分からないけれど
今になったから分かることもある。


つまり、守られていたのだ。
私は、そうやって、いつだって。
私が世の中のきれいなところしか見てこなかったのは
私に世の中のきれいなところしか見せまいと
必死で守ってくれた両親や祖父母がいたからだ。
考えてみれば当たり前のことなのに
偶然世の中のきれいなところだけを
見続けられるわけなんかないのに
私は随分長い間、そのことに気が付かなかった。
それほどまでにナチュラルに
私は愛で満たされていた。
私が今この上なく幸せに過ごせていることだって
そのほとんどは誰かの意図の賜物だ。
両親や祖父母はもちろん、友達や先生や
先輩や後輩や1度喋ったことがあるだけの人だって
もしかしたらこの幸せに1ミリくらい
関係しているかもしれないし
今この瞬間を語るなら圧倒的な旦那さんの存在や
ほかでもない私自身の意図も。
きっと、そこには含まれている。


だから、私は胸を張るのだ。
コンプレックスなんてお門違いで
だからといって何ができるわけでもないから
せめて、堂々と胸を張るのだ。
世の中の善意に出会うたびに
この出会いは誰かの愛の証明なのだと。
ほかでもない私に向けて
恐れ多くも誰かがそっと向けてくれた
あたたかな愛の証明なのだと。


ハッと顔を上げて生きるだけでたぶん
その気持ちに応えることはできるんだと思う。


;) | comments(0) | -
2015/07/18 (Sat) 04:06
「また今度生まれたらアナタがいい
鏡に映る自分が問いかける」
andropのGhostを聴くと
いつもこのフレーズが耳に飛び込んでくる。
また今度生まれ変わってもあなたがいい?
うーん、それはどうだろう。
どうせ生まれ変われるなら
今度はもっと可愛い女の子がいいかな、なんて。


私は「どうせ私なんて」って卑屈になるのが
本当に嫌いで吐き気がするほど嫌いで
私なりに可愛い女の子であれるように
振る舞っているつもりなんです。
ネタとして自虐的になることはあっても
じぶんのことはとても大好き。


そんな私でもかつてはコンプレックスに
押し潰されそうな時期だってあって
「どうせ」とは思わずとも
「もっと」と泣いたことはあった。
もっと可愛い顔に生まれていれば
もっと華奢な身体だったら
もっとツヤツヤした髪になれたら
もっとユーモアのセンスがあれば
もっとあの子に心を開けたら
もっともっともっと。


いつそこを抜けたのか覚えていないの。
たぶん高校生の頃かな。
10代のどこかだったことは確かなんだけど。
ただの思春期だったのかもしれない。


いま私は心から私を気に入ってるけど
生まれ変わってもあなたがいいかと聞かれたら
もう少しスマートな人間がいいとも思う。
あの頃「もっと」と念じ続けた私が
そのまま叶ったような私に
なれるものならなってみたいと思う。
私は決して「もっと」を忘れたわけじゃない。
あの頃の息苦しいまでの嫉妬を
私にないものを持ってる女の子たちへの嫉妬を
別に、昇華したわけじゃない。
いま私がじぶんを好きでいられるのは
「もっと」が消えたわけではなくて
「もっと」を私なりにできる形で
ひとつひとつ手に入れてきたから。
つまり、ただ単純に自信がついただけなんだ。
私にだってできる。
私にだってなれる。
可愛くなれる。
幻想かもしれない。
でも鏡に映る私はどんどん
私の好きな私になっていって
私はそれが純粋に嬉しい。


そんなふうにハンドメイドで作り上げてきた私だから
また生まれ変わって同じことする?
って思ったら、それはないなあ勘弁してよ
って笑ってしまう。
一生懸命書いた原稿を保存し忘れて
もう1回最初から書き直すことになったら
「あーーーまじかーー」て脱力してしまうのと同じ。
2回目がないことを無意識に信じてるから
がんばれる今なんじゃないのって
現世の私は、思っているのです。


;) | comments(0) | -
2015/07/14 (Tue) 01:19
ただ消費するだけの人生なんて
つまらないと思っていた。
生きているなら創造すべきだ。
そう思って学生の頃は
本当にたくさんの作品をつくった。
ものづくりができる会社にも就職した。
その会社を卒業してもまた今度は
自分の考えを言葉にすることでお金をもらっている。
アウトプットだらけの人生だ。
たぶん、だからなのかな。
今になって私、とにかくインプットしたいんだ。
今年はこれまで以上にアートな1年にすると決めて
映画や本やライブや美術展を手当たり次第
楽しむことにしている。
そうやって純粋に消費者でいても良い身分の
心地よさがやみつきになっている。


消費よりも創造に価値があるなんて
今はまったく思わない。
生みの苦しみは五臓六腑に沁み渡っているし
創造に対するリスペクトはあるけど
それと同じくらい
消費に対するモチベーションがある。
こんなに積極的に消費を楽しみたいのって
たぶん私の人生至上初だと思う。
そのあとどんな展開があるかは
さっぱり分からない、だから
世の中にあふれるコンテンツから
アンテナに引っかかったものを消費するのと同時に
私は今そのものをきっちり消費したい。
変な余力残したりしたくない。
今は当たり前だけど今しかなくて
明日にお取り置きはできないの。
明日は明日の自分がなんとかしてくれる。
だから今は今の自分を精一杯
消費しきろうよ、そんな気分。


;) | comments(0) | -